プロフィール延長戦 次女編その2

家族
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日々のかけらの住人 yuccaです。

前回、プロフィール延長戦ということで次女のことを書きました。

長くなりすぎたので延長戦その2として書いていきます

お付き合いよろしくお願いします。

次女のしろ丸
次女のしろ丸

自作のキャラ、しろ丸だよ。絵が好きだよ。カエルも好きだよ。

いよいよ病院へ行く

1、2年生の頃は 覚えることもイージーだったかも知れません しかし3、4年生では 少しレベルが違ってきました 相変わらずの座学が苦手と 算数や国語 さらに理科や社会などの教科がますます増えたことで 彼女のキャパは 壊れそうだったのかも知れません 

いよいよ4年生になり、本格的に診断してもらい 授業を個別で 支援してもらわないといけないところまで来てしまいました 

夏休み 養護教諭と学級担任と S病院に予約をして WISK それとK医師による診察を行い 診断名がつきました 不注意優勢型のADHD そして薬の服用がスタートしました

集中力を高めるお薬で 朝しか飲めません また 食欲も落ちるとのこと 給食を 人の2倍以上の時間をかけて食べる彼女は ペースはそのままでもさらに食欲がなくなったのか途中で遊んでしまうという「困ったちゃん」になってました。

授業中の変化

しかし変化は確実にありました 私のような 素人は 分かりませんが 先生には違いがわかったようで 以前よりも集中して 机に向かうことができるようになったというのです

ただし 座学は嫌い が治ったということではありません 治らない障害なのです 

授業参観に行けば やはり 授業中でも 絵は描くし ネリケシは作るし 手いたずらが治るということは ありませんよ  でも嬉しかったのは その後も「学校は楽しい」と休むことなく通い続けたことです

3年生からは毎週水曜日の1限目は 通級指導教室に通いました。 同じ区内のO小学校で先生と1対1で1時間勉強します その後は通っている小学校に戻り 普通に授業を受けます。

週に何回かは 取り出し授業 と言って 算数や国語などを みんなとは別教室で 個別に受けたりしていました クラスのペースに追いついていけない彼女にとって、とてもありがたい仕組み。クラスのみんなもそれが当たり前というスタンスなのです。  

金管部に所属する

5、6年生になり 部活動が始まりました 金管部に入部し、アルトホルンをすることに。

運動は苦手ではないのですが 長距離走は大嫌い。

あと仲良しのIちゃんが同じ金管部にいたことが決め手のようです   

自分が演奏し、大きな音がするのは問題ないんだな、と少し不思議でした。

5年生からは おなじ通級指導教室でも 学年が上がったことで 「小集団通級」に代わり 数人の子供達と一緒に1時間 グループでの活動や 周りのことを見ながら 自分はどうするのが良いかを 学んでいきます 

yucca
yucca

小集団通級って、毎回ハラハラしながらマジックミラー越しに

授業を見てるんさ。考えてる時間が人より長いんだわ、次女。

こうして小学校と連携し 彼女の苦手を受け入れて指導に当たってくださった先生方のおかげで無事に小学校を卒業できました。 

そして同級生の支え 彼女は 本当に友達に恵まれました。

中学校の3年間、そして現在

緊急事態宣言の時、入学した公立中学校。

今まで通りという言葉は捨てなければならず、大人も戸惑いながら生活してた時ですね。

マスクして授業。自宅待機。体育祭は短縮。授業参観もない。

今思えばものすごい閉塞してたのに、子供は順応できるんですね!

中学生になっても変わらずに通常学級に在籍。週一回、校内にある教室で通級指導。そして格段にレベルアップした授業には取り出しで対応。

3年間、担任は全て違いましたがどの先生も次女のことを褒めてくれました。

2年の後半、高校進学のことで担任と話し合い、本人の意向も確認した上で3年生からは

「特別支援級」に在籍。その先の「特別支援学校高等部」の受験資格のためでした。

親も心がきまりました。

下手に普通高校に通わなくてもいい。

座学が苦手なのだから、途中でどうにかなるよりは。最初から「就職」を目標にしておけばいい。

少人数の方が本人も楽だろう。

次女のしろ丸
次女のしろ丸

就職の方がいい。

無事に中学も卒業。そして今に至ります。

まとめ

ADHDと診断され、薬を飲みながら小中学校はなんとか卒業できました。

一人の「発達障害」の成長ということで記事を書いてみました。

いかがでしたか??

最近はクラスに一人はいるという「障がい児」、いかに周りの大人やクラスの友達に助けてもらって

育ったか。

てか、一人では何もできません。いくら親でも。切なかったこともありましたし、苦しかったこともありましたわ。そりゃ。

年の離れた兄弟の存在。祖父母の支え。何より本人の人柄。

本当にありがとうという言葉しか出て来ないんですよね。

次女もとても心優しい女の子に育ちました。苦手は得意でカバーする。苦手をしっかり相手に伝える。

そうやって、これからも可愛い次女でいてほしいです。

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