2月1日 始めました

自分史
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初めまして!今日からスタートすることにしました。

何を?

もちろん、このブログを、です!

こんにちは。私は「日々のかけら」の住人

yuccaという者です

よろしくお願いします!新米ブロガーなんで。

あの地震からひと月経ちました

元旦のまったり時間に突然の不協和音。私の地域も震度5弱でした。 

当時の様子を少しお伝えすると 初動は、慌ててついてた石油ファンヒーターを押さえました。(勝手に消えるので問題ないのですが、本人の気休め)

スマホの「地震です 地震です」の通知が鳴り止まずに恐怖が増して

「やばい、長い、揺れてる!!」と絶叫しておりました。

何度も何度も繰り返し流れる地震速報に、次女が耳を手で塞ぎながら泣きそうになっていて 

津波警報まで出たので そのタイミングで逃げなきゃとなり 上着を羽織って主人の実家へ避難(車で)

皆さん、元旦といえば?ですよ。

人通りすらまばらな夕方に あんなに国道が渋滞してるとは。いかに津波が恐怖か、3・11で思い知っているので

ただただカーラジオから流れてくる 

カーラジオ
カーラジオ

「東日本大震災を思い出してください 高いところへ避難してください!」

の言葉通りに はやる気持ちを抑えつつ15分程で実家に到着。

ずっとハラハラしながらまずは家族の無事を確認。

少し離れた所に住んでいる長女も実家へ合流し 余震が来るたび怯えてテレビに齧り付いていました

正月の特番どころではないテレビ局の映像は繰り返し繰り返し 津波が道路を越えて 通行中の車に水を浴びせかける様子が流れ 

義兄と「あれ、俺の車だわ、て言いふらすんだろうね、あの車の持ち主。」って他人の心配?ができるようになっていました 

さっきまで本当に怖くて 逃げてきた自分のことはどうでも良くなっていました。安全なところにいるって、幸せですね。

能登地方の方々の比にはなりませんが被災した身としては まずは家族全員が無事であったこと 我が家が無事であったこと が何より嬉しいことでした。 初詣から帰ってすぐの出来事としては 今までで一番の衝撃的なハプニングでした

我が家の防災意識

実は防災グッズはまったく用意してないんです。水はおろか、非常用トイレとか

も防寒アルミシート的なものとか、防災リュックもない。

結局は 「着のみ着のまま」 飛び出す形になりましたね。よくないですよね、これでは。

そして、実家に逃げるとは。近所に小学校があるのに、そのことは1ミリも思いつきませんでした。

意識が低いから、次に何かあれば一番に被災しそうです。

yucca<br>
yucca

次は学校に避難しよ。

そうなっても防災グッズを揃えるところまでは意識が行かないもんです。

幸い、主人は山登りが趣味なので、アウトドアグッズ自体は家にたくさん(不要なものまで)あるんですけどね。

それを防災用に纏めるってところまで行けばいいんですね。

その日のうちに帰宅しました

その後数時間経過し 夜9時前には我が家へ帰宅。

食器棚も本棚も倒れることはなく 脱衣所の上棚が耐震ロックがかかっているだけで 事なきを得ました(マジで良かったこと)

そして酒盛り中だったので再開(やっぱり、防災意識が低い)

近所の人に話を聞いたら

近所の人
近所の人

学校の教室に逃げたよ。

結構な人数いてさ、教室ふたつに分かれて避難してたわ〜

て言ってました。(後日談)

それに

津波が川を遡上した地区に住んでいる友人とLINEで連絡をとったら 南へ1時間半ほど逃げていた模様で 無事でした。

すごくホッとしたのを覚えています。

物凄い幕開けとなった2024年。悪い事の次はきっと いいことが待っている!はず!

まとめ

突然の災害

慌てて「着のみ着のまま」にならないように

・・・とはいえ人は「忘却の生き物」

だからすぐにやらないと忘れてしまう。

今は便利な世の中なので、すぐに調べられる、探せる。自宅で買える!

皆さんもこれを機に備えましょう!!


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