上越市と同い年の昭和46年生まれです

日記
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日々のかけらの住人 yuccaです。

上越弁にこだわることでブログをオリジナルコンテンツにするべく

今回もいきなりの方言で行きます

上越の人間だすけ

改めてさ、上越っていつ上越市になったんか、話したいんだけど、いいかね。

昭和46年、高田市と直江津市が合併し、上越市が誕生。

ついでにアタシも同年誕生。だから上越市とアタシは同級生なの。

市の成立

頸城平野で古くから相互補完の関係を築いてきた内陸の城下町である高田と沿岸の港町である直江津であるが、1954年(昭和29年)11月18日、春日村の分村問題に際して、「近き将来において高田市と直江津市を合併して上越中心都市を建設すること」を記した申合書を交換[3]。その後、市街地拡大による連坦が進んだことなどから1970年(昭和45年)12月23日に高田、直江津両市合併協議会が合併期日と新市名が決定し、1971年(昭和46年)1月18日の両市議会での合併可決、同年3月20日新潟県議会による両市合併の可決を経て[4]、同年4月29日付で両市が対等合併(新設合併)し、発足した(詳細は#編入以前の上越を参照)。合併前時点での両市の人口は、高田市が約7.5万人、直江津市が約4.5万人。

wikipediaより引用

くどいと思われようが何しようが、同い年なんでこれは発表するしかないと。

53歳の上越市に53年住んでる。合併したから高田と直江津は気質が違うんだね。

今でも感じるところはあるよ。

高田はねえ、城下町だったからちょっと気取った感じに見えるんだわ。

直江津はねえ、海のそばに住んでるから浜っ子気質でガチャガチャしてるっつうの?荒々しいていう感じなんだよね。

上越まつりへの情熱

高田地区はね、上品なんだわ

7月の23日から29日までは「上越まつり」が行われるんだけどね。

前半の3日間は高田の本町通で、後半の4日間は関川を神輿が下って直江津に。

神輿が直江津に入ると花火大会があって29日の八坂神社への「御饌米奉納」でフィニッシュ。

一昔前はさ、高田城址公園のお堀で花火が上がって祭りがスタートしたんだけどね、いつの間にかやめちゃってね。

基本、雨が降るんだよね。梅雨時期で蒸し蒸しじっとりって感じだし(体験済み)

本町通りで神輿が踊り、小学生の金管演奏や露店が出て、学生時代は楽しかったなあ。

高田の最終日は企業や町内会の人たちがそれぞれ揃いの浴衣で「大民謡流し」。

どうしても高田の祭りって、気取った感じがしちゃうんだわ。

だし、高田の祭りはお上品。

直江津の祭りは一体感

26日は直江津海岸で花火大会(毎年恒例)それと神輿の川下りで舞台が直江津に。地区の各町内会で山車が出て、祭りを盛り上げる。てか、中の人になったことあるんでわかるんだけど、

とにかく熱い。激アツ。

前にも一度話したことあるね、小学生の時は祭りに参加してたこと。

夏休みに町内会館で横笛の練習に勤しんでたし、山車の後ろについて太鼓班(男子)と笛班(女子)で

地区内を巡回。先導する大人も、山車を引っ張る子供達もウチら小中学生も、心から楽しんで参加してたんで、一体感があるのよね。

そんでフィナーレの「お饌米奉納」の様子は地元のローカルテレビ局が毎年生中継。

自宅にいて、その様子をチェックしながら夕飯食べてるんだわ。現在ね。

これは広報誌。上が直江津花火大会、左下は「お饌米奉納」、右下は「大民謡流し」。

もう一つの大きな祭り。謙信公祭

合併した高田と直江津の間にあるのが春日山。

越後の虎、上杉謙信公の居城、春日山城のあるところよ。

過去にはあの、GACKT謙信で一躍有名になったねか。

YouTubeでもたくさん上がってるし、かなり盛り上がった祭りよ。県外客が大勢、GACKTさんを見にきてね、知人の飲み屋に飲みに来ただの、大騒ぎだった。

「出陣じゃあああああ!!!」

これですわ。

「謙信公祭」については、おらはそこまで熱量高くないんだわ。かんべんね。

勉強しとくわ。すんません。

まとめ

今回のキーワードは「昭和46年生まれ」。

上越人として、53年生きてきたけど、「知ってるようで知らないこと」

まだまだ沢山あるんだわ(しみじみ)でも、高田と直江津では気質が違うことは間違いないし、

高田でも直江津でも生活拠点があったオラとしては、それぞれ良いところも悪いところも全てひっくるめて「上越市」ってことよな(当たり前のこと)

1市民目線でちんたら書いてるブログだけど、お付き合いよろしくお願いしますわ!!

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